ものづくりの手
2007年 07月 20日
何かをこの手で作りたい。
就職を意識しだした頃から、漠然とその思いはあった。
しかし、文系の私に、技術者になる道はなく、結局、何を作りたいのか、何をしたいのかを突き詰めることもなく、就職を断念したのを覚えている。
私の母は、工作が得意で、小学生のときは代わりに夏休みの工作を作ってもらったものだ。
祖母は編み物が得意だった。
伯母は靴の工場で仕事をしているし、聞くところによると、祖父ははるか昔、服の仕立てをしていたとかいないとか。
職人、なんて畏れ多くて言えないけれど、この家は、手を使って何かを作り出してきた人が多いらしい。
その末裔の私が、やはりものづくりに惹かれるのは自然のことなのかもしれない。
まだ、下手の横好きのレベルだけれども。
最近、折り紙に興味がある。そのご先祖である、折形にも。
はさみを使わず、紙だけで、礼の心をあらわしてしまう折形には興味がつきない。
それに関連して、紙、和紙を見るのも好きである。
この先、この手が何を作っていくのか、何とも気の長い楽しみがここにある。
就職を意識しだした頃から、漠然とその思いはあった。
しかし、文系の私に、技術者になる道はなく、結局、何を作りたいのか、何をしたいのかを突き詰めることもなく、就職を断念したのを覚えている。
私の母は、工作が得意で、小学生のときは代わりに夏休みの工作を作ってもらったものだ。
祖母は編み物が得意だった。
伯母は靴の工場で仕事をしているし、聞くところによると、祖父ははるか昔、服の仕立てをしていたとかいないとか。
職人、なんて畏れ多くて言えないけれど、この家は、手を使って何かを作り出してきた人が多いらしい。
その末裔の私が、やはりものづくりに惹かれるのは自然のことなのかもしれない。
まだ、下手の横好きのレベルだけれども。
最近、折り紙に興味がある。そのご先祖である、折形にも。
はさみを使わず、紙だけで、礼の心をあらわしてしまう折形には興味がつきない。
それに関連して、紙、和紙を見るのも好きである。
この先、この手が何を作っていくのか、何とも気の長い楽しみがここにある。
by the-sahara
| 2007-07-20 20:54